林真理子のBeautiful Voice なるほど! 小田急

story.19 未来を怯えるなんて

雑誌をめくっていたら、私の友人がエッセイを寄せていた。

「私ごとになるが」と断って、八十二歳のお母さんが認知症になり、施設に入ったと書いてある。そのうえ独り暮らしとなった高齢のお父さんをめぐって、てんやわんやが続いたようだ。

テレビにもよく出る、美しくて華やかな彼女が、こんな悩みを公に書くとは思わなかった。そして同時に深い仲間意識を持ったのである。私も高齢の母のめんどうをみているからだ。

この頃は右を向いても左を向いても、介護の話ばかりである。身近な友人が集まってこの話題となると、「実はうちも」と口々に言い出す。マスコミによく出る有名人や芸能人も、親の老いや呆けを率直に語るようになった。

私が子どもの頃はそうではなかった。呆け老人などほとんどいなかった。なぜなら年寄りは呆ける前に亡くなってしまったからだ。

私の祖母は八十四歳で亡くなったが、めったにない長寿ということで、その頃の田舎の習慣により、葬式に菓子やお金をまいたのを憶えている。この祖母は最後まで比較的頭がしっかりしていたが、そうでない老人が近所にいると、

「あそこのお婆さんはボケたらしい」

と、大人がひそひそと噂をしていたものだ。

が、今どき認知症は珍しいことでも何でもなく、みんなが親のことを大っぴらに口にすることが出来るようになった。

これはとてもいいことだ。悩みをお互いにうち明けることによって心を慰められる。慰められるというものの、親が老いていくのを見るのは本当につらいものだ。

男友だちがお酒に酔ってこぼした。

「あんなに綺麗でしっかりしていた母親が、髪ざんばらの汚い老婆になって、おかしなことを口走る。僕のこともわからない。悲しくって帰りはいつも泣くよ」

多くの中年の子どもが、このような苦しみを持つ。そしてそれが老いていくことの恐怖につながっていくに違いない。

今年の成人式の日、あるアンケートが新聞に載った。それは中高年に向け、

「二十歳のあなたに、何をいちばん言ってあげたいか」

という質問であった。

「語学をマスター」「恋愛をいっぱいする」かなと想像したところ、「もっと貯金しなさい」であった。

この答えが、老いるための備えだとしたらかなり淋しい。二十歳の人間が、ひたすら老後を考えお金を貯めるのだ。なんとつまらない人生だろう。

呆けたら呆けたで仕方ないと居直る。あるいは将来は社会保障が充実しているはずと楽観的に考える。この二つは大切だ。少なくとも怯えながら貯金するよりずっといい。