林真理子のBeautiful Voice なるほど! 小田急

story.31 人の和

私たちの年齢で、親のことで苦労していない人はまずいない。

私は今、介護をテーマにした連載小説を書いているのであるが、調べれば調べるほど悲惨なことばかりだ。

親のために介護離職する人は、年間十万人ともいわれている。民間の施設に入れるのは恵まれた方で、家で寝たきりの老人も多い。となると、子どもと共倒れということになってしまう。

私の母はよく、

「自分のために、子どもの人生が狂うとしたらこんなにつらいことはない。死んだ方がまし」

と言っていたけれども、それは元気な時だったからだ。母が寝たきりになってしまってからは、弟は会社を辞め、私も故郷に通う。

親の介護は大変だ。いつたどりつくかわからない道を、必死で歩いていくようなものである。そしてそのたどりつく先のことを考えると、やはりつらく悲しい。どんなに長く困難でも歩き続けていこうと思う。

しかし介護にもいいことがある。それは人の和をつくってくれるということだ。

高校を出た頃、クラス会に行くのがイヤだった。行っている大学によって、差が出来てしまうからだ。一流大学に進んだ同級生は、学校がいかに楽しいか、ゼミの人たちがどれほど優秀で個性的か自慢する。

大学を出たら出たで、今度は就職先の格差が出てくる。航空会社に勤めた友人は、ローマがどうの、パリがどうのと話し、商社マンとなった者は、銀座でよく飲んでいる、あそこは座っただけでとんでもない金をとるのと私たちに教えてくれた。

それからしばらく、私はクラス会に出席していない。配偶者や子どものことで、あれこれ探りや比較をされたらたまらないと思ったからだ。

ところがおととし、何十年ぶりかで顔を出したらびっくりした。話題がほとんどといっていいくらい、親の死と介護についてだったからだ。

同級生の一人は、父親と母親が同時にボケてしまったので、それこそ修羅の日々だと言う。そうしたら別の同級生が、

「うちと同じ。うちは母親と姑が同時にボケた」

とため息をつき、皆で何となく笑い合った。あれほど見栄を張り合った若い日はどこかへいき、私たちは共感の深い輪をつくり、あれこれ相談し合ったのである。

先日、対談であるアーティストに会った。この人とは長いつき合いである。美しくセンスのある彼女は、生き方すべてがカッコよく、この方のファッションや髪型をよく真似したものだ。

話しの途中、彼女はスマホで療養中のお母さんの写真を見せてくれた。介護で本当に大変だと語った。スターで私とは全く遠いところにいると思った人が、急に近くにやってきた。

いつのまにか私は、友情さえ感じていたのである。

林真理子

小説家。1982年に『ルンルンを買っておうちに帰ろう』でエッセイストとしてデビュー。その後、『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞を受賞。近著に『野心のすすめ』『私のスポットライト』『我らがパラダイス』。小田急沿線(代々木上原)在住。