story.1 神さまのイタズラ?

「夕立」という言葉が消えて久しくなった。その替わり「ゲリラ豪雨」とか「集中豪雨」というどこか物騒な名称がまかりとおるようになった。
どうして「夕立」と呼ばなくなったのかというと、時間に関係なく激しい雨が降るからだそう。
そういえば昔の夕立は、夏の神さまがくださるちょっとしたプレゼントのようであった。暑さにうだる空間が一瞬にして変わってしまう。後には滴をしたたらせる向日葵があり、すっかり力を失くして、夕陽に変わろうとしている太陽があった。子どもの頃はその頃から浴衣に着替えさせられたり、夕飯の買物に行かされたりしたものだ。
日本舞踊に「夕立」というとても色っぽいものがあるが、急な雨で始まる男と女の物語である。そういえばさだまさしさんの名曲に「雨やどり」というものもあった。そう遠くではない昔、夕立が起こると、みんな知らない商店や家の軒先に飛び込んだものだ。親切なお店だとタオルを貸してくれたり、中に入れてくれたりした。そこで若い男女が出会ったりしても、何の不思議もなかった。
ところで、現在の「ゲリラ豪雨」に、味もそっけもないかというと、やはり違うような気がする。被害が出る地方や、電車が止まるような激しいものは災難であるから別にして、さっと来てさっとまたたくまにどこかへ行く都会の強い雨は、やはりわくわくする要素がある。
このあいだ新宿でそんな雨に遭った。文字通りさっきまでの青空が、あっという間に灰色になり、叩き付けるような雨が降ってきたのだ。
若い男女が「ヤダーッ」と叫びながら地下街に駆け下りていく。みんな近くのビルの中にさっと身を隠したのであるが、その素早さはまるでシミュレーションゲームを見ているようであった。
私はタクシーに乗っていたのであるが、窓が一時何も見えないほどになり、のろのろ運転になった。
「この頃多くて本当に困りますよ」
と運転手さんがぼやいている間に、さっと雨があがった。そうするとまたそろそろとビルの中から人々が出てくるのである。雨に濡れた舗道は一瞬にして清められたようで、歩く人の足取りが早くなった。
ゲリラというほど猛々しくなく、子どもが悪戯をしていく程度のこの雨なら、まあ許せるかもとひとりごちた。
ところでこれほど豪雨が起きても、東京の水不足は解消されないのだという。水源地にはほとんど雨が降らないからだ。そのニュースを聞くたびに、自然というのは何と気まぐれなものだろうと思わずにいられない。いちばん嫌がられるところに降ってやる、という意思があちらにあるなら、それに余裕をもってこちらも受け入れなくてはならないのかもしれない。