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林真理子のBeautiful Voice なるほど! 小田急

story.4 至福の時は長い

寒くなるにつれ、夜が長くなっていく。あれは本当に不思議だ。春だって夏だって、流れている時間は全く同じなのに、秋や冬の夜は長く感じられる。どうしてなのだろうか。

ひとつは夏の騒がしい日々が終わり、心が落ち着いてくること。そして強くなる冷気が帰宅を早めにうながしていることによると思う。

私のうちは居間のダイニングテーブルに集まり、それぞれ好き勝手なことをすることが多い。夫は新聞、娘はテレビ、そしてたいてい私は本を読んでいる。本を読むことはもはや私にとって呼吸するようなものだ。仕事柄読む本がどっさりあるので、楽しみから遠ざかっていく。

だから私はこの季節になると、何か習いごとをしたい、新しいことを始めたいとせつに願うのである。それもうちの中で出来ることがいい。

十年くらい前のことになるが、クロスステッチが大好きになったことがある。刺繍糸で×印をつけるだけで、さまざまな絵が出来上がっていくのが本当に楽しかった。やり始めると凝り性の私のことで、素敵なステッチのセットが欲しくてたまらなくなる。ちょうどその頃パリに行く用事があったので、古い手芸屋さんに連れていってもらった。そこでかなり上級者用のセットを買ったものだ。

今はもう老眼が進んで、糸を手にする気も起こらない。しかし編み物は出来そうだ。クロスステッチに夢中になる前は、ニット小物をやたらつくったこともある。

元来不器用でめんどうくさがり屋の私であるが、ある時突発的に手芸をしたくなるのだ。私は女の人がとても綺麗に見えるのは、手仕事をしている時と本を読んでいる時だと思う。スマホをいじっている姿は、あごが深くなり過ぎている。綺麗に見える角度は、間違いなく読書か編み針か、刺繍糸を手にしている時だ。

そして私がもう一つ憧れるのは、花をいじっている女の人である。

仕事柄よく花をいただくが、がさつな私はざっと花瓶につっ込むくらいだ。しかし私の秘書が花瓶にさすと、花は見違えるようになる。(はさみ)を使って長さを整えているからである。

そういえば、私は昔フラワーアレンジメントを習っていた。オアシスの使い方を習得したぐらいで挫折してしまったが、まあ、花をいじることは嫌いではないのだろう。それなのに今は忙しさのあまり、花をいつくしむことを忘れている。ほんのちょっとの手間でいいのに、どうしてせわしなく花を扱うのだろうかと反省した。

いただいたバラとアンスリウムを自分なりに形をつくって細い花瓶にさしてみた。こういうのは家事ではない。花や毛糸や刺繍糸と(たわむ)れる時間を持つ女の人は幸せである。