story.11 やわらかい心

こう見えてもネガティブな性格である。
昔から人の心の裏側を読んでくよくよする。
こんな私だから、嫌いな言葉は「ダメモト」だ。
「断られてもいいから、頼むだけ頼もうよ」
などと言う人がいるが私には信じられない。
「友だちだからタダでやってよ」
「高いものをオークションに出してください」
と言葉に出せば、それは相手の心に届く。非常識という印象はしっかり残るのだ。
しかし私のまわりには、ポジティブな人たちが多い。
「ダメモトでもとにかくやってみよう」
という情熱に溢れている。それが自分のためでないところが、他の「ダメモト」と違う。私の仲よしの友人は七十代であるが、
「世の中を変えなきゃいけないんだ」
というのが口癖で、さまざまなことを考える。それはボランティアに関することであるが、いろんな人を連れてきて無料で講師をしてもらおうという提案をしてきた。
「そんなの無理よ。みんなタダでそんなことをしてくれるわけないじゃないの」
とすぐ反論するのは私。
「でもじっくり話せばわかってくれるよ。みんなだって何か世の中のために役立ちたいと思っているはずだから」
「そうかな? みんな自分の仕事に忙しいんじゃないの」
と逆らってばかりいた私であるが、ふとある日気づいた。
「私みたいに後ろ向きになっていたら、世の中ちっとも変わらないではないか」
リスクばかりを口にしている人間は、変化が嫌いなのだ。変わっていくことを受け容れるやわらかい心を持てないのだ。
つい最近のこと、若い友人から子どものプレスクールを紹介してほしいと頼まれた。プレスクールというのは、幼稚園や小学校受験のための子どもの予備校である。
経験ある方も多いと思うが、子どものお受験というのは本当に嫌なものである。舅や夫と同じ名門小学校に入れなくてはと、日夜頑張っていた友だちの奥さんは、あまりのプレッシャーから一時期失語症になってしまったという。
私は若い友人にこの話をした。
「受験ってあなたが考えているほど、気楽なもんじゃないのよ。いい学校に入れるために、お母さんたちは陰謀と噂の世界に入っていくんだから」
「でも誰かは受かるわけでしょう」
と彼女は明るく言いはなった。
「私は何かにチャレンジするのが好きなんです。だから子どもと一緒にいくらでも頑張ります」
あの、お受験は実力で決まる社会じゃないのよ、と言いかけてやめた。彼女が本当に無邪気な愛くるしい顔で言ったからだ。私の方が間違っている、と認めるのは嫌いではない。まだやわらかい心を持っていることを確かめられる。