story.21 おしゃれな人

私はこの頃、おしゃれと片づけというのには、特別のセンスが必要だと考えるようになった。
私は服を買ったりするのは大好きであるが、決定的に何かが欠けている、それは色彩感覚だとか、フォルムをまとめる力である。
私のまわりには、ファッション誌の編集者やスタイリストといった、いわばおしゃれのプロたちがいるが、彼女たちとて、みんながみんな若くて美人で、スタイルがいいというわけではない。まあ、おしゃれの人はたいてい体型を気にしているから、肥満の人は少ないものの、ぽっちゃりしたおばさんもいることはいる。が、彼女たちは着るもので体つきをカバーし、そして何かしらアクセントをつけ「素敵な人」ということになってしまう。
昨日、友人とお芝居を見に行った帰り、銀座でお茶を飲んだ。その時の彼女のファッションがとてもまぶしかったのである。格別に目立つものを着ていたわけではない。上質の白いシャツに、ベージュのカシミアのカーディガン。そして胸元には細いチェーンのネックレスが光っている。
ひきかえ私の方は、ごく薄い白のニットに紺色のジャケットを合わせていた。家を出る時、シャツにしようかどうか迷ったのであるが、
「洗ってアイロンかけるのめんどうだし」
「クリーニングに出してたの、見つからないし」
という、はなはだだらしない理由によるものだ。
最近私は、つくづく、装うことはその人の生き方だと思えるようになった。誰でも知っているあるニュースキャスターの女性は、真っ白いシャツがとてもよく似合う。彼女は言った。
「シャツは必ず自分で洗って、自分でアイロンかけるの。心を込めてね」
年齢を重ねていくと、心と体はラクチンを求めるようになる。それは冬になるとさらにひどくなる。今年の冬、ずっとダウンコートを着て、フラットのブーツを履いていた。暖かいし軽いし、いったい何が悪いの、という感じであったが、そうしている間に確実に何かが失われていったのだ。
おしゃれな友人は、ハンガーに明日着ていくものをコーディネートしてかけ、靴やアクセサリーをいろいろとつけ加えていくという。夜の至福の時だと聞いて、私はびっくりした。そんなことをする時間があったら、寝っころがってテレビを見ている方がずっといい。
そして朝になると大あわてで、あれがない、これがないと、どたどたとそこにあるものを着ていくのである。若い時はそれでも済んだかもしれないが、くすんだ肌と記憶力がなくなった頭を持つようになるとそうはいかない。
明日着るものを考える。人にどう見られたいか、どう過ごしたいか考える。それはとても大切なことで、どう生きたいかにつながることなんだ。