story.24 一日の終わりに考える

ベビーカーを押して、若いお母さんが横断歩道を渡っていく。手にしたスマホから目を離さずに。
「まあ、まあ、なんてことでしょうね」
タクシーの窓から非難めいたことを口にする私も、メールをうつ手を休めることはない。
朝の電車の中、席に座る人たち、立っている人たち、みないっせいにスマホを動かしている。うなだれたその様子は、エサをついばむニワトリのようだ。誰もが毎日、情報というエサを食べずにいられない。
SNSについては、言いたいことがいっぱいあるけれど、もう後戻り出来ないならば、賢くつき合っていくしかないだろう。
若い友人が教えてくれた。ママ友のいじめでラインをはずされることがあるという。いい大人が、子どもと同じようなことをしてしまうのはみっともない話だ。
ネットで人の悪口を毎日書き込む、というのは論外としても、SNSというのは人の感情を単純に幼稚化していくような気がして仕方ない。
人に何かしてもらうと、ちょっと前までならお礼状を出した。封書でなくてもハガキぐらい書いた。しかし今はみんなメールである。しかしお礼状のなごりはあって、やたら丁寧である。
「こんな夜分に、メールを出す失礼をお許しください」
というくだりには笑ってしまう。寝ていたらメールは読まないはずだ。
「とり急ぎの文面にて申しわけありません」
メールというのは、そもそもそういうものだろう。本当に”とり急ぎ“のものなのだ。
友人にどうしても伝えたいことがあり、長いメールをうっていた。そして途中で気がついた。
「こんなこと、電話をかければすぐに済むことじゃないの」
そして彼女にメールをうつ。
「今、電話してもいい」
「いいよ」
いったいいつから、こんな馬鹿馬鹿しいことをするようになったんだろう。直接話をしたければ電話をすればいいはずなのに、最近それをするのをとても遠慮するようになった。人とのつき合いに、機械を通すのがふつうになったのである。
すぐスマホで調べようとするのも、私のような物書きにとっては残念なことだ。たいしたことは書いていないし間違いも多い。スマホは”入り口“として、本で確かめてもらいたいと思う。
そして一日が終わる時、今日、いったいどのくらいの時間スマホに触れていたか、考えてみるのも大切なことだろう。女子高校生が一日八時間スマホをいじると聞いて、愕然としたことがある。大人はもっと少ないと思いたい。その時間、いったい何が出来たのか。スマホに替わるものはないのか。ちらっとでも考える。本当に、考えないと今に大変なことになる。