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林真理子のBeautiful Voice なるほど! 小田急

story.27 幸せとは

大人になっていくにしたがい”幸せ“ を感じる時間は次第に少なくなっていく。

少女の頃、チョコレートパフェやアップルパイを頬ばる時、心から「幸せ」とつぶやいていた。幸せの意味はわからないまま、とにかく深く満足していた。

年頃になってからは、恋愛イコール幸せであった。恋ぐらいこちらを肯定してもらえることはない。自分のことを好きになってくれる人がいることが、これほど心に張りと昂ぶりをもたらしてくれると初めて知った。

が、中年以降そんな幸せを手に入れることが出来る人は、特別の魅力とエネルギーを持った人だ。たいていの人にとって、それは思い出になっているに違いない。

家族がもたらす幸せは、とてもわかりやすいものであるが、これは期間限定といっていいだろう。別に不幸になるわけではないが、わずらわしさは日に日に大きくなり、子どもは自分から離れていく。「幸せ」は、昔の家族写真の中で標本になっているはずだ。

あれはもう五年前になるだろうか。

仲間が集まってミュージカルをすることになった。誰かが思いついて、やろう、やろうと言い出したのだ。週に何回か集まり、ダンスや歌の稽古をした。サボる人が多かったが、私はほとんど出席した。忙しい中、時間をつくり必死で頑張った。もちろんそうしたことが大好きなのであるが、わかっていたことがある。

「遊びだからといって手抜きをしたら、本番を終えても何も残らないはずだ。努力して稽古を積んだ者だけが、感激というものを手に入れられるのだろう」

こう書くといかにもエラそうであるが、なぜかその時、心にはっきりと言葉が響いた。普段の仕事では、全く浮かんでこない言葉だ。日常とは全く違うことをしているので、強い信念が組み立てられたのだと思う。

果たしてそのとおりになった。

舞台は大成功に終わり、素人がよくここまでやったと、拍手とスタンディングオベーションとなった。私は感涙にむせび、客席の人たちもみなもらい泣きをした。

その時のことを、私はエッセイに何度も書いた。

「大人になって、こんな幸せと感動な時をえるなんて」

頑張ってこちらからアクションを起こさなくては、幸福は手に入れることは出来ない。しみじみわかったのである。

あの時一緒に涙ぐんでいた仲間が、一人逝ってしまった。これは私にとって大きな衝撃であった。自分より年下の人の死にほとんど遭わなかったからだ。その後、友人たちのメールに同じようなことが書かれていた。

「生きている間にうんと楽しもうね。うんと仲よく遊ぼうね」

死が身近なものになっていくと、幸せが能動的なものであることがもっとよくわかる。