story.32 抗議するということ

トシをとると怒りっぽくなるというのは、よく言われることである。
しかし自分は、これにはあてはまらないと考えていた。私はかなり人には寛容な方ではないかと思う。それに多少なりとも世間に知られる身にしてみれば、ふつうの人なら怒るところをぐっとこらえる癖がついている。
だから行き先を間違えたタクシーの運転手に、高速道路で千葉に連れていかれても料金をちゃんと払う。お店で失礼なことをされた場合は無言で立ち去り、二度と行かないだけだ。
ところが最近、つい言葉に出ることが多くなった。デパートで買物をし、早く済ませたいのでカードではなく現金で払った。が、ずっと待たされ、時計を見たら十五分たっていた。女性の店員さんの
「お待たせいたしました」
の言葉に反射的に、
「ホント」
と答えていた私。
ある地方都市を訪れた時、そこのタウン誌のインタビューを受けた。やってきた男性記者のあまりの感じの悪さに、
「あなたね、私の本一冊でも読んだことあるの? いつもそんな態度なの!?」
と怒鳴っていた私。
人は怒りの行動を起こす時、
「これは正当なものだ」
とつぶやいている。その”正当“の基準はいつのまにかトシと共に変わっている。そして正当性は、いつしか自分に向けられたものに対してだけではなく、社会全体に向けられているのではなかろうか。
最近不倫をしたタレントさんや議員が、世間を賑わせている。不倫は許されるものかどうかという議論は別にして、
「えー、いつからこんなに袋叩きにされるようになったんだろう」
という疑問がわいてきた。
「白々しい顔をして、陰では『記者会見ではとりあえず謝っとく』なんて言ってるのよ」
とか、
「女の味方のふりをして、産休とるとか何とか言ってて」
という「正当な」理由はいくつかあるに違いない。
が、
「あのタレントをCMから降ろせ」
という、企業への電話が殺到していると聞くと、うすら寒いものを感じるのだ。
友だちと噂話や悪口を言い合うのはわかる。私だってよくする。しかし電話をかける行動は不可解である。
もともと、人に怒る。抗議をする。というのは美しくない行為だ。だからうんと考えなくてはならない。言葉の”刃“を抜く時はよほどの時だ。匿名で電話をかけることからは醜さしか伝わってこないのである。