story.38 英語を話したい

「どうしてこんなに英語が話せないんだろう」
ニューヨークから帰って夫にこぼした。
「この頃、喋る人と行くせいか、まるっきりあっちでも英語を話さない。話してもまるで通じなくてイヤになるよ」
「それは自分が悪いんだから仕方ないよ」
と夫。
「今まで何度もチャンスがあったのに、ちゃんとやらないからいけないんだ」
ああ、そうだったといくつかのことを思い出した。
若い頃は海外で暮らしてみたいと本気で思った。自分でもあちらの方が合っているのではないかと考え、人にもそう言われた。
時はあたかもバブルで、私も世間もふわふわと心躍っていた頃である。カナダのバンクーバーに家を買い、英会話とゴルフをみっちり習おうとした。かの地にも友人が出来、われながら「国際人」になったような気がしたものだ。
が、その直後結婚ということになり、バンクーバーに行くのは、年に一度夏休みだけになり、それもたまにとなり、家は人に貸し、やがて売却ということになってしまった。
が、英語のことを忘れたわけではない。いつも海外へ行くたびに恥ずかしい思いをしたからである。
二度めの大きなチャンスは、子どもの小学校入学の時に訪れた。毎日彼女を電車で送っていく。その駅前に有名な英会話スクールがあったのである。
「これならば、いくら根性なしの私でも通うことが出来る」
とすぐに入会申し込みをし、高いチケットを買った。よくある話ではあるが、こういうチケットは、大量に買えば買うほどぐっと値引きされる。
「これだけチケットを購入すれば、いくらずぼらな私でもちゃんと通うことであろう」
とあの時は信じていた。が、私の英会話スクール通いは、二ヶ月と続かなかったのである。
私のまわりの主婦たちが、ちゃんと喋れることが出来て驚くことがある。学生時代留学していた人、元CAという経歴も多い。配偶者が海外勤務だったママ友は、ものすごく流ちょうに喋る。が、こういう人に対しては、
「ああ、そうですか、羨ましいです」
という感想しか持たない。実生活の幸福と偶然とが、英語習得につながっているような気がするからだ。
私が心から感心するのは、ふつうの主婦でふつうに学んで英語をものにする人である。能動的に語学に挑んでいる。私も彼女たちに憧れている限りは、これからも教材を買い続け、英語教師を探し求めることであろう。夫が言うように決して諦めてはいない。それは私の残された、数少ない向上心の形なのだから。それにしても若い人たち、本当に英語はやった方がいいですよ。