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林真理子のBeautiful Voice なるほど! 小田急

story.39 化粧をする

人前に出ることもあり、身だしなみには気をつけようと思っている。

もともとだらしない性格であるから、そのところはとても用心している。駅前のスーパーに出かける時も、こまめに洋服を着替え、薄く化粧をする。

化粧はした方がいい。若い人ならともかく、中年過ぎた女性のスッピンなど、とても見られたものではないと考えている。だからひと手間かけ、陽灼け止めに白粉をはたき、眉を描いて口紅を塗る。

しかし一日中どこも出ない日、

「今日は化粧をしていない。ざぶんと顔を洗っただけでベッドに入ることが出来る」

と思うあの解放感はどういったらいいだろうか。やはり私は、化粧がそう好きでないのだ。

世の中には「メイクフェチ」というべき人たちがいて、彼女たちのための雑誌や本も山のように出ている。マスカラひとつにもこだわり、比べ、実験している女性たちが山のようにいる。ある時、若い女性と話していて、そのアイラインのひき方の巧みさに感じ入ったことがある。細い細い線がシャープに入っているのであるが、その線をひきたてるようにベージュのアイシャドウがうすくぼやかされていた。

「お化粧にどのくらい時間をかけるの?」

と尋ねたところ、

「毎朝四十分くらい。特別な日は、一時間はかけます」

という返事で驚いた。毎朝四十分で何が出来るだろう。その時間、英会話を習うとか、新聞や本を読めばいいのに、などと考えるのはオバさんの悪い癖である。もう人生を降りかかっている人とは違い、若い女性は現役で自分をPRしなくてはいけない時期だ。お肌やおしゃれに、手間をかけてかけ過ぎということはない。そうでなくても、ツヤツヤの肌に輝く髪。やり甲斐というものも出てくる。

昔、ある有名美容家と公開対談をした際、会場から質問を受けつけることがあった。すると一人の女性が手を挙げて立ち上がった。

「私は全く化粧をしません。ヘンですか」

美容家は、私と違ってやさしい人だった。

「そんなことはありません。あなたはとても魅力的ですから、そのままでいいんですよ」

質問した若い女性が、 ”してやったり“ という表情になったのを昨日のように憶えている。私だったら言っただろう。「よくないよ」

若い子が紅ひとつひこうとしない。その心のかたくなさがイヤ。彼女が内心、化粧をして着飾る女性を馬鹿にしているのは、質問したことでもわかる。自分だけは特別、自分は知的と思っているのだろう。が、私もあれから年をとり、あれもアリかも、と考えるようになっている。そして百歳で化粧を欠かさない美しい老婦人の本を読み、これもまた素敵と考える。どちらも化粧について実は深く思索しているのである。私のようにいい加減にやるよりずっといい。

林真理子

小説家。1982年に『ルンルンを買っておうちに帰ろう』でエッセイストとしてデビュー。その後、『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞を受賞。近著に『野心のすすめ』『私のスポットライト』『我らがパラダイス』。小田急沿線(代々木上原)在住。