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林真理子のBeautiful Voice なるほど! 小田急

story.40 冬の幸せ

晩秋の夕暮れ、家の近くの保育園から男の子とお父さんが出てきた。お父さんの手にはスーパーの袋がある。きっと保育園のお迎えの前に寄ったのだろう。

「さあ、早くおうちに帰ってお寿司を食べよう」

とお父さんが言うと、男の子は尋ねた。

「ママは?」

「ママもそろそろおうちに帰っていると思うよ」

前を歩いていた私は、思わず”いいなあ“とつぶやいていた。二つの意味でだ。

きっとここのうちは共稼ぎなのだろう。そして今晩の夕食に、お父さんはお寿司の盛り合わせを買ってきた。簡単な食事であるが、それで文句が出ることはない。世代的に私は羨ましくて仕方がないのである。団塊の世代の夫を持っていたら、出来合いのお寿司はきっと嫌な顔をされることであろう。

しかし若い世代ではふつうのことなのだ。

そしてもうひとつは、お寿司を買っておうちに帰る父と子がとても幸せそうだったこと。ママもおうちに帰っていると思うよ、といったお父さんの声が優しさに充ちていた。

たとえ冷たいお寿司でも、家族で囲めば楽しい夕食なのだろう。願わくばそれに温かいお汁がつくといいなあと、私は勝手にいろいろなことを想像する。

つい先日、独身の友人と和食へ行ったら彼女は鍋を食べたいという。

「ひとり者だとなかなか鍋を食べるチャンスがなくて」

なるほどねと、私はその時久々に優越感を持ったかもしれない。冬が近づくにつれ、おでんや鍋物が恋しくなる。シチューは私の得意料理で、スネ肉や玉ネギから煮込んで旨味を出すこともある。ことこと揺れる鍋の横で本を読んでいる時など、ああ、家庭があってよかったなあとしみじみ思うのであるが、これを独身の友人に言うのは気がひける。

「人にはいろんな生き方があるし、幸せがある」

と言ったり書いたりしている手前もある。独りで自由に生きている友人を尊敬し、羨望することも多々あるのに、温かい料理を語らせるとつい得意な気持ちになるのはなぜだろうか。冬の日と温かい食事を囲む、というシチュエーションは、人をややハイテンションにするような気がする。

スマホを見ると、世の中は「幸せ自慢」で溢れている。特に主婦のそれはすごい。子どものお弁当、毎日のレシピ、ベランダで育てるハーブ。

「見て、見て。私の幸福で素敵な暮らし」

のオンパレードである。

独身の人に気を遣おう、などという話ではない。日々確認し、日々を見せびらかさなくてはいけない幸せというのは案外脆いものだということを知らなくては。本当の幸せとは、お寿司を買って帰りを急ぐあの父と子のようにさりげないものだろう。

林真理子

小説家。1982年に『ルンルンを買っておうちに帰ろう』でエッセイストとしてデビュー。その後、『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞を受賞。近著に『野心のすすめ』『私のスポットライト』『我らがパラダイス』。小田急沿線(代々木上原)在住。