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林真理子のBeautiful Voice なるほど! 小田急

story.47 幸福のかたち

 夏は冬ほど幸福の多寡がはっきりと見えないのではないか。

 冬の服の素材は、お金をかけているかどうかで差がついてくる。大人になってからの安いコートはちょっと気がひける。それにクリスマス・お正月といったイベントが続き、なんとはなしに、人を羨むことが多いのだ。

 そこへいくと夏はすべてのことが大雑把で明るい。大人も安いTシャツやワンピースでさまになるし、それでことが済んでしまう。そして何といっても、若い人の天下である。

 十代の子たちが、いかにも楽しそうに海や山へくり出すさまをみていると、こちらも微笑ましくなってくる。お金があるなしには関係なく、生命体がキラキラしている人たちが勝ち、という感じであろうか。

 ところが最近夏になると、心が少し騒ぐようになった。まわりの人たちが、家族で海外旅行や別荘・温泉へ出かけるさまをみているといいなァと思う。そして、

「お金持ちで、家族仲よく円満。夫婦で出かけるおうちというのが、いちばん幸せではないだろうか」

 と考えてしまう。

 冬に続いて私の「羨ましい」病が始まったのである。

 考えてみれば若い時からずっとこの病気と戦ってきたような気がする。自分より頭がよく、美しく、才能のある人を見ては「いいな、いいな」といじいじしてきた。嫉む気持ちが高じてくると、憎しみの小さな芽さえ出てくるから困ったものだ。そして果ては自己嫌悪に陥ってしまう。

 しかしトシをとってくるというのもいいもので、人を羨む、という感情は年々薄くなっていくものだ。自分の限界を知ったこともあるし、

「よくここまでやってきたじゃないか」

 とちょっぴり賛える気持ちがあるのも事実。

 そうかといって、嫉む病が完治したかというと突然ぴょこんと出てくる。仕事が忙しくて息もたえだえになっている時、無理解な夫から小言を言われたりした時など、友人の何人かの顔が浮かぶ。彼女たちは専業主婦で、それはそれはやさしいお金持ちの夫を持っているのだ。

「今年の夏は二人でイタリアへオペラツアーに行くの」

 と聞かされると、いいなあとため息が出る。「嫉妬」はいちばん醜い感情だとそんなことはわかっている。わかっているが出てくるものは仕方ない。肝心なのはその対処法だ。

 まずは現実を見据える。自分には、お金持ちで性格のいい男性を手に入れる魅力も運もなかったと言いきかせる。それならばこの範囲の中でどうやったら幸せになるか。せめて洋服の一枚も買うか。おいしいものでも食べにいくか。そしてとにかく仕事をひとつ片づける。その時得る達成感を幸福と名づける。そう、幸せのかたちはひとつではないのだから。

林真理子

小説家。1982年に『ルンルンを買っておうちに帰ろう』でエッセイストとしてデビュー。その後、『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞を受賞。近著に『野心のすすめ』『私のスポットライト』『我らがパラダイス』。小田急沿線(代々木上原)在住。