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林真理子のBeautiful Voice なるほど! 小田急

story.49 シンプルに

 四十代の仲よくしている人がいる。スポーツ関係の仕事を持ち、夫も子どももいる。

 その彼女がある時、好きなアイドルのコンサートに応募するといって、ハガキを見せてくれた。

 その表書きにかなり驚いた私。「係」とだけあったのだ。四十代の母親である。今までずっとこうして「係」と書いたのだろうか。子どもの学校の通知も、こうしていたのか誰も注意する人はいなかったのかと、しばらく思案にふける。

 そうしたらつい最近、新聞に、

「返信の手紙やハガキのあて先をいちいち直すのはめんどうくさい。最初から“御中”と書けばいいではないか」

 という投書が載った。

 私としては、「係」を御中に直す、そして返信の時は、自分の名前や住所から「御芳名」の「御」と「芳」を消す。こういうやりとりをとても日本的でいいなあと思うのであるが、もはや古くさい考え方かもしれない。

 私ごとであるが、最近母を見送った。年齢が年齢なので、人に知らせることもなく身内だけで通夜や葬儀をした。今、流行の「家族葬」というやつだ。

 時代は変わるものだとつくづく思う。十年前の父の時には、そんなことは許されなかった。

「家族葬なんて、都会の人がすることで、田舎の人たちには無理」

 という声に押し切られてしまった。昔ながらの習慣で、近所の方たちに協力してもらわなければならないのだ。お通夜、葬儀にも細かいしきたりがあったと記憶している。

 しかしあれから歳月はたち、田舎でも「身内だけで」ということがふつうになったという。

 しかし、うちの母の場合、新聞の訃報欄に載ったので、弔電と花が幾つか来た。そして同時にLINEでお悔やみも。

 そして何日かしてから、手紙が来た。

 封書の丁寧なものもあったが、ハガキで、

「このたびは残念でしたね」

 と数行書いてあるものも届けられた。

 マナーのことを言っているのではない。

「今の時代、こんなにもいろんなことがアリなんだなあ」

 と感心してしまったのである。

 私の友人の一人は、

「メールでお悔やみなんて失礼だと思ったので、しばらく何もしなくてごめんなさい」

 と言った。そこでまた、

「そうか、メールではやっぱり失礼なのか」

 と考えにふける。

 現代において、お祝いもお悔やみも何でもアリなのだ、ということがわかった。そして私はそのどれもが有難く心にしみた。

 この場合、どうしたらいいのだろうかと迷ったらまず行動を起こす。本当にそういう気持ちがあれば相手は嬉しい。人とのつき合いはどんどんシンプルになっているのだろう。

林真理子

小説家。1982年に『ルンルンを買っておうちに帰ろう』でエッセイストとしてデビュー。その後、『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞を受賞。近著に『野心のすすめ』『私のスポットライト』『我らがパラダイス』。小田急沿線(代々木上原)在住。